國枝達也の22年 建持千佳の22年
秋元の22年 1986年4月入社
目次
  • 第一章
  • 第二章
  • 第三章
  • 第四章
  • 第五章
第一章

秋元イメージ1 テニスに明け暮れた大学時代。
偶然就職課で紹介されたオルガノ。
文系の私には水処理会社と聞いてもピン!と来なかったが 選考がトントン拍子に進み、無事に内定。
まさかその時はこんなに長く働くとは思ってもみなかった。


30人の同期とはすぐに打ち解け、5ヶ月間の新人研修も合宿のようで楽しかった。
オフも、温泉旅行など同期と共に過ごす時間は多く、とても充実していた。


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世間動向
1986年 ドラゴンクエスト発売
1986年9月 経理に異動
第二章

秋元イメージ2 −経理部への配属。
誰もが「秋元は営業」と疑わなかったので・・ビックリ。
もちろん当時は経理について、何1つ知識は無かった。


そんな中で向かった経理は、当時はパソコンなんて1人1台は無く、そろばんをパチパチと弾く音が響き渡る場所だった。
ただ、女性社員が多くとても華やかなイメージだった。
そんな中で社会人の第一歩目が始まった。


平日は、仕事を定時に終わらせ、先輩と飲み歩く日々。
週末は、テニスコートで汗を流してリフレッシュ。
会社のテニス仲間と海に行ったり、経理部のみんなで開園間もないディズニーランドに行ったこともあった。


仕事に慣れるまでは大変だったが、先輩や同僚に恵まれ、今思うと すごく平和でいい時代だった。


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1991年6月 情報システムに異動 1991年7月 結婚 1994年3月 長女誕生
第三章

仕事も任され、経理の仕事が面白く感じていた入社6年目の夏、 システム部(現情報システム部)に異動。
経理とは全く違う世界だったが、以前から興味のある部署への異動だったので しっかりと仕事に取り組めた。


そして2年間付き合っていた彼女と結婚。
以前に比べなるべく早く帰ったり、昔から得意だった料理を週末に振る舞ったりと、充実した新婚生活を過ごした。


公私共に順調だったこの時期、気がつくと6キロも体重が増えていた。


そして結婚3年目の春に長女が生まれた。
画数の本を購入して名前を考えたり、育児の本を読んだり
生まれる前も忙しかったが、生まれた後は写真を撮るのに忙しかった。
それでも念願の女の子が生まれて、本当に嬉しかった。


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1993年 徳仁親王が小和田雅子と結婚
1994年10月 経理に異動 1997年8月 次女誕生
第四章

情報システム部での経験が、経理部へ戻りたい気持ちをつき動かした。
何もわからないまま入社し、過ごした経理部。
『もっと経理部で責任のある仕事がしたい』そう思い、上司と相談する中で経理部への異動が決まった。


3年ぶりの経理は状況がまるっきり変わっていた。
効率化を求められ、部署のメンバー数もかなり減っていた上、 会計ビックバンと呼ばれる世界的な会計ルールの統一化もあり、仕事は増える一方。
週末に出勤することも多くなった。


家族との時間も大切にしたい、娘の寝顔を見ては疲れを癒した。
そして長女誕生から3年目、次女の誕生。
国際化の時代を考えて、海外の人にも呼びやすい名前を付けた。
自分で言うのも変だけど、結構子煩悩だと思う。


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1998年 流行語大賞 金賞「だっちゅーの」
1999年 流行語大賞 大賞「リベンジ」
2001年 USJオープン
2004年7月 課長に昇格 2006年12月 ガバナンス改革室に異動
第五章

21世紀になり、仕事量もスピードもめまぐるしく変化していった。
経理の仕事は、1つの処理が多くの事象に影響されるもの。
それを部下に伝えていくことも、課長としての役割の1つ。


秋元イメージ3 2006年12月、新設部署のガバナンス改革室への異動が決まった。
立ち上げメンバーとしての責任は重いが、その分やりがいとなって返ってくる。


入社から間もなく22年。
皆さんが生まれた頃、私はオルガノに入社した。
決して平坦な道ではなかったけれど、オルガノではその時その時で、責任ある仕事を任せてもらえる。


生まれてからの22年間では経験できないようなことを、
オルガノに入社してからの22年間で経験して欲しい。


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2002年 日韓W杯開幕
2004年 日本国内では79年ぶりの鳥インフルエンザ発生
2004年 個人情報保護法全面施行
3人のエピソード: 國枝 達也   建持 千佳   秋元 英良