秋元英良の22年 國枝達也の22年
建持の22年 1985年4月 入社 1985年5月 研究開発推進部に異動 1986年10月 勤務地が東京都文京区から埼玉県戸田市へ
目次
  • 第一章
  • 第二章
  • 第三章
  • 第四章
  • 第五章
第一章

1985年(昭和60年)4月。
薬学科での大学生活を終え、オルガノに入社。


20人の同期に囲まれ楽しく過ごせるかな、ワクワクしたことを覚えています。


建持イメージ1配属先は、文京区本郷の研究所。
何もかもが初めてのことだらけで、先輩に教わってはメモを取り・・
毎日毎日があっという間でした。


仕事は忙しかったけど、18時を過ぎると後楽園球場から応援団の太鼓の音が職場まで聞こえてきて、 机の中に閉まってあったメガホンを抱えて球場に応援に。
当時の巨人の4番は原辰徳選手。


仕事もプライベートもどちらも思いっきり楽しんでいました。


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世間動向
1985年 流行語大賞 金賞「イッキ!イッキ!」
1988年11月 結婚 1989年6月 電力事業部開発室へ異動
第二章

建持イメージ2 世の中はバブル全盛期。
8千円のインスタントラーメンや2万円のストッキングが発売!
なんていう、今思えばビックリするようなニュースが日々流れ、 街も会社もキラキラしていて、将来は果てしなく明るい!そんな風に思いました。


入社4年目の12月。
結婚。
その日は風がとても強かったことを覚えています。


同僚達も新しい苗字が呼びにくそう。
私もちょっと照れくさかったです。


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1992年 毛利衛さんがスペースシャトルエンデバーに搭乗
1995年4月 総合研究所プラント開発部に異動
第三章

新しい部署に異動。
同じ会社なのに、環境がガラリと変わることに少しだけ不安を覚えました。


でもオルガノの社員は本当にみんな優しくって あっという間に居心地がいい職場になりました。


ちょうどその頃、中国では天安門事件がおこり、当時一緒に働いていた中国人留学生が強制帰国。
TVや新聞だけのことだと思っていたのに、身近な人が巻き込まれたことにビックリ。
仕事的にも痛手でした。


―バブル崩壊。
そんな報道がさかんになっていったけど、その頃の私はまだぼんやりとしか感じていませんでした。


姪の誕生。
嬉しくって、記念に当日の新聞を買おうと思ったけど、この年は阪神大震災や地下鉄サリン事件、 不景気、就職超氷河期など暗いニュースが多くて、買うのをやめました。


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1997年 消費税5%へ
1998年 FIFAワールドカップフランス大会
1999年4月 つくば工場環境・品質保証室兼務
第四章

そんな中で迎えた21世紀。
どんな時代になるのだろうと思っていました。


2002年、小柴昌俊名誉教授がノーベル物理学賞を受賞!
ニュートリノの観測施設・スーパーカミオカンデには、オルガノの技術である超純水が必要不可欠。
それが表に出ることは少ないけれど、自分の会社を誇らしく思った瞬間でした。


オルガノは間違いなく社会の役に立っている!と、なんだか自分のことのように嬉しかったです。


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2000年 Y2K問題
2001年 ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任
2006年7月 課長に昇格
第五章

建持イメージ3 仕事に対する思いはそれぞれだけど、私は小さなことをコツコツと毎日積み上げていくのが好き。
1つ1つは目立たないかもしれないけれど、オルガノの事業は、ふと周りを見回すと生活には欠かすことのできない、 多くのことに関わっていて、そしてそれが、形になっていくのを目の当たりにできて、とても幸せだったな、って思います。


入社して22年。
縁の下の力持ちとして活躍を続けるオルガノだからこそ、誇りを持って、モチベーションを保ち続けることができたのだと思います。


もちろん居心地の良さも、今まで働き続けられた理由の1つ。


この機会にみなさんも働くということについて考えてみませんか?


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2003年 六本木ヒルズがグランドオープン
2004年 アキバ系が注目される
3人のエピソード: 國枝 達也   建持 千佳   秋元 英良