高校の時、初めて行ったスキーの魅力に惹かれ、
大学から本格的にスキーを始めた。
大学在学中にスキー検定一級を取得。
もちろんそれは、クラウンプライズ(スキー検定の最上級)を目指す上での通過点。
充実した大学生活だった。
就職活動は、プラント業界と建築業界を志望した。
大学生時代、機械工学を専攻していたこともあり、
大きなものを作りたいという夢があった。
『オルガノ』への入社を決めた。


入社すると、希望通りプラント設計の部署に配属された。
エレクトロニクス業界向け水処理装置の設計。
納期のスピードに着いていけず、上司によく怒られた。
必死に勉強した。仕事に没頭していた。
その代わり、冬休みはスキーに、スキーに、スキーに充てた。
クラウンプライズという目標に、ただひたすらに滑った。
仕事もプライベートも、常に目標を設定することが性に合っている。
94年リレハンメルオリンピック。
荻原健司の大活躍。
世界に通じるスキーヤー自分まで誇らしい気持ちになっていた。

入社10年目。東南アジア向けの仕事が増えてきた。
考えられない位の受注が入ってくる。
そんな時、ジャカルタ事務所(インドネシア)への異動の話。
こんなチャンスは無駄にはできない。妻と2歳になる娘と3人でインドネシアへ向かった。
異国の地でも、家族を楽しませたい。
そんな思いから、休日には1日10時間インドネシア語の勉強に明け暮れる。
1ヵ月後には日常会話、ビジネス会話共に困らない程度になった。
ジャカルタ事務所には、日本人が2人。自分ですべての業務をこなさなければならなかった。
つまり、経営も営業も技術も現場監督も・・・事務所で雇っているインドネシア人従業員の生活までも考えて仕事をしていた。
大変だが、やりがいは計り知れなかった。
努力の甲斐もあってか、やりがいのあるジャカルタ勤務は快適になっていった。
飯は美味く、親日家も多い。家族も楽しんでいた。






2年半後、インドネシアにもすっかり慣れた頃、本社に戻った。



